その日ジュネーブを後にして今回の出張目的である、時計の聖地と呼ばれるジュウ渓谷に向かいました。
ジュラ地方の美しい山岳地帯を走るドライブウェイは、土曜日という事もあって上り下りと頻繁にサイクリングしている人々が多数見られました。
地域柄 それらの人々は時計師が多く、地元では間違っても対人事故を起こさない事(賠償額がとても大きい為)と言われています。
車ですれ違うドライバーは、皆さん 細心の注意で。
今回のスイス 弾丸出張の理由(わけ)をお話ししますと、
ある日、「シークレット」を合言葉に一通のレターが届きました。
ある有名な伝統的時計師のご夫人によりバースデーパーティが、サプライズで計画されたからです。
その時計師とはこの人。
この6月で70歳を迎えたフィリップ・デュフォー。
フィリップ・デュフォー氏は、かつて何度かカミネにも来て頂きました。 |
彼の代表作は、シンプリシティ。
今では幻のような時計となりましたが、2000年前後から2007年位まで、年産約15~20本程製作され、僅かなタイムピースが世界に送りだされました。
2007年頃から製造されなくなっており、世界中から多くの要望を受けながらも手には入らない状況になっています。 |
入手するのはオークションでごく稀に出たものを落札するしかなく、程度の良いもので数千万円にもなると言われています。
シンプリシティ
ケース径:
34㎜ K18PG/K18WG/Pt
37㎜ K18PG/K18WG
手巻き パワーリザーブ40時間
脱進機 レバーエスケープメント
髭ゼンマイ、ブレゲ巻上げ髭、
振動数:18,000/hour
フィリップ・デュフォー氏は、スイスで多くの技術者から最も尊敬を受ける時計師として名前を上げられる人物で、その作品は古典的技法で全て手造り、手仕上げで製作され、ジュウ渓谷を発祥とする伝統的時計製造を継承していこうという活動に共鳴が集まります。
日本でかつてこの時計を扱ったのは、東京・シェルマンとカミネのみで、幸運にも手に入れられたカミネのお客様はごく僅か。 |
カミネに対しても、100周年の歴史にオマージュを頂き、プラチナ製シンプリシティをピースユニークとして製作頂きました。(非売品)
そして、ようやくジュウ渓谷のとある目的地に到着。
会場へのエントランスには、レッドカーペットが。
パーティはサプライズという事で、どんな事になっているのかと思っていましたが、パーティ会場は数年来クローズしていたこの地方では一番の「Grand Hotel du Pont」
それを地域の人達が皆で協力して整備したとの事。
ホテルの前庭にはデュフォーさんのバースデーに世界中からかけつけた100名以上のゲストが賑やかに集まり、名だたるウォッチメーカー、世界有数のコレクター、ジャーナリストやディーラーのオーナーなどと対面しました。
クロワゾネの第一人者のアニタ ポルシェさんや、エングレーバーのキース エンゲルバード。 (シンプリシティのシースルーバックから見えるロゴプレートは彼のエングレーブです)
他に時計師のカリブティ ライネン、ピータースピークマリン、ショパール社 社長のK.F.ショイフレ夫妻。
グルーベル・フォルセイとフィリップ・デュフォーのダブルネームのガルドタンを製作したミッシェル・ブーランジェなど、多彩を極めるものでした。
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レセプションにはスイスの風物詩でもあるカウホーンによるセレモニーと共にアペリティフやライブが盛りこまれます。
歌っているのはデュフォーさんのお嬢さん。
時計師の勉強の傍らの趣味ながら、見事な歌唱力。
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会場でばったり出会ったローマン・ゴティエ夫妻。
その直後にはカミネにやってきて、イベントを開催して頂きました。
彼の実直な人柄は、フィリップ・デュフォーさんから信頼、評価されている愛弟子ともいえる由縁です。 |
この方は、私が若いころ何度も見に行ったスイス・チューリッヒの名店「BAYER」の8代目オーナー。
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BAYER の店内にあるパテック フィリップの私設のミュージアムは有名です。
そして、御祝と共に敬愛するフィリップ・デュフォー氏とツーショット。
夕陽を背影にデュフォー氏。 お決まりのパイプをくわえるショット。
全て、奥様と娘さんが9ケ月かけて手作りで企画、準備したパーティは和やかに進行。
パーティ中にも地元業者による花火やライブ、似顔絵の絵師、過去を振り返る動画の放映などで、その後 延々と夜中まで続きました。
翌朝は、早朝にはジュラ地方を出発。
ジュネーブ空港から帰途に。
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実に中味の濃い 2泊の弾丸ツアーが終了。
機内から見えたジュラ地方。
ジュウ湖とその先にある印象的な切り断ったナイフのような小高い山。 |
その尖った山頂には、名物フォンデュのお店があるとか・・・。
パーティの模様はこちらをClick↓↓↓
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