つまり、古代から神戸は有名な良港で、港の発展の歴史が神戸の発展の歴史となっていきました。
1863年。諸外国との貿易が始まったころ、
神戸港は正式に当時の幕府によって対外国の窓口として開港され、
その後日本政府により
「外国人居留地」として、現在の旧居留地地域に
諸外国の外交代表や貿易商などの外国人を
住まわせる地域として造成されました。
写真はその当時の神戸港
1868年3月の「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」が
開港当日の様子を伝えました。造成中の居留地や、運上所などが見えます。
多くの外国人、英国人、アメリカ人、ドイツ人、中国人などが次々と神戸を拠点に日本との貿易を活発化させていきました。
その後、神戸は歴史の変遷の中、戦争による空襲、大水害、大震災など、いくつもの災難を乗り越えながら、
諸外国と日本の文化の融合の窓口となっていきました。
写真は明治後期の、領事館や商館の旗がはためく海岸通です。
明治元年。
当時発生した「神戸事件」
三宮神社前で備前藩とフランス人水平との間に起きた紛争により、
隊の責任者であった滝善三郎が切腹することとなりました。
外国人は初めて見る日本の「ハラキリ」に驚愕したと言います。
神戸から日本全体に普及していった外国の製品、食文化、レジャー文化は
ゴルフ、ボーリング、ジャズ、洋食など数多く、
神戸は「日本の近代洋服発祥の地」でもあります。
当時、それらの珍しい西洋の文化が神戸の風土や街、気風を作り上げていきました。
ハイカラ、国際都市という言葉も神戸に対してよく使われたのもこのような理由からで、
現在神戸市は、ファッション都市宣言をしています。
開かれる六甲山明治28年。イギリス人グルームの手によって開かれました
明治36年、日本初のゴルフ場である、
「神戸ゴルフ倶楽部」が誕生しました。
そして、明治39年 1906年。
カミネは初代:上根銀助が、神戸 元町の柴田音吉洋服店と柴崎時計店の間の路地裏で、
貴金属の細工を始めたのをスタートに、金細工のかんざし、懐中時計の鎖などの商いを始めました。
写真は銀助が店を始める前、福山で神主をしていた頃のものです。
そして、二代目 上根かおるの時代へ。日本は第二次大戦に突入。
当時は長田神社の参道筋でカミネを営んでいました。
こちらの写真は長田神社の前で撮ったものです。
三代目で現会長:上根保は当時、学徒動員としてレーダー技術を持っていた事を認められ、
繰上げ卒業をし、沖縄で方向探知機の製作をし、アンテナを立てて観測をしていました。
その後、激戦の戦地で九死に一生を得た末に生還。
間もなく三宮(現在のトアロード店の少し北)に小さな店を開く事となっていったのです。
写真は現会長、三代目:上根保が第二次世界大戦で沖縄へ出征し、
復員後の家族写真
中央が保。左から二人目がカミネ二代目かおる
保が着ている背広は、米軍兵士が着ていたものとの事です。
この後(約50年以上前)保は親元から独立し、
三宮(現トアロード店の少し北)で時計宝石店を開業し、
やがて日本でもまだ殆んど普及していなかった高級時計、
ロレックスやオメガ、パテック フィリップなどの取扱いを始めていきました。
写真は1955年頃 現トアロード店
この当時の事を実体験を元に、現会長:保が書き下ろした「生還」(幻冬舎ルネッサンス)。
ご希望の方に差し上げます。英訳版もありますので、宜しければお申し越し下さい。
これは悲惨な戦争を二度と起こさない為、自らの実体験を後世に伝えるのが主旨で、古い日記などを完全復元し、それを糸口に書き上げられたものです。
米国や欧州の多数の図書館にも寄贈されています。 宜しければ是非、皆さんお読み下さい。
本の申込み先:E-mail info@kamine.co.jp
又はF A X 078-325-5277
☆件名に“「生還」希望”とご記載下さい。
☆ご住所、ご氏名を明記下さいましたら、
1名様につきまして1冊をお送りさせて頂きます。
カミネ 4代目社長 上根 亨