
第2回は、1775年にブレゲがパリのシテ島に工房を開いた瞬間から始まります。
第1回で工房を開くまでの道のりをお伝えしていますので、まだ読んでいない方はぜひチェックしてみてください!
【ブレゲ創業250周年記念:第一弾 】時計の天才アブラアン=ルイ・ブレゲの誕生と初期の歩み

さて、ブレゲが工房を開いたのは、シテ島の一角にある建物の最上階の屋根部屋。
最初は小さな部屋で始まりましたが、次第に他のフロアも借りるようになり、フランス革命が終わる頃には、この建物全体がブレゲのものに。
現在、その場所は「ケ・ド・ロルロージュ39番地」として今も残っています。

面白いことに、当時このエリアには他の名だたる時計師たち、例えばベルトゥやレピーヌも工房を構えており、まるで時計の聖地のような場所だったのです。

ブレゲの喜びと試練
1776年には、ブレゲにとって大きな喜びの瞬間が訪れます。
最初の子供、アントワーヌ=ルイが誕生。
後にブレゲの右腕となり、メゾンの後継者として活躍することになります。
しかし、順風満帆に見えたブレゲの人生に、次々と試練が降りかかります。
1780年、次男フランソワ=ルイと長女シャルロッテを亡くし、その後すぐに妻セシルも他界。
33歳の若さで孤独に見舞われたブレゲは、深い悲しみに沈みます。
そして、「二度と結婚しない」と心に決めます。
ただひとり残った息子を自分の手で育てることを決意したブレゲは、義理の妹リュイリエを呼び寄せ、息子の母親代わりとして支えてもらうことに。
リュイリエはその後、1805年に亡くなるまでブレゲの工房運営にも積極的に関わり続けました。
アントワーヌ=ルイは後に、「祖母リュイリエの秩序を重んじる几帳面な人柄がブレゲの成功にどれほど大きな影響を与えたか」を語り残しています。
革新的な発明!ブレゲの時計革命
悲しみに包まれた時期でも、ブレゲの時計作りへの情熱は冷めることはありませんでした。こむしろ、この時期に彼が手掛けた革新的な発明が時計作りの歴史を大きく変えることになります。それが、あの「ペルペチュアル(自動巻き)」の発明です!

当時、懐中時計はゼンマイを巻くために鍵を使っていましたが、

ブレゲのペルペチュアルは、使用者の体の動きや日常的な歩行で発生する「分銅」の振動を利用してゼンマイを巻き上げる仕組みを作り上げました。

これにより、懐中時計を便利に、自動で巻き上げることが可能になったのです。
1780年、最初期のペルペチュアルウォッチはフランス国王の従兄弟、オルレアン公爵に販売されています。
現在のブレゲ「トラディション」コレクションのローターは、この分銅をモチーフにしています。

歴史のブログ記事がひと段落したら、ブレゲの各コレクションを紹介していきますので、楽しみにしていただけると嬉しいです。
自動巻き機構を発明したと言われているのは、「アブラアン=ルイ・ペルレ」という人物だと言われています。

ただし、彼が発明した回転式分銅は懐中時計にはほとんど使われず、後に腕時計の技術として後の時代に登場しました。

懐中時計はポケットに入れて使うため動きが少なく、回転式分銅ではうまく巻き上げられなかったからです。

つまり、実用された最初の自動巻き機構はブレゲが発明したものだったのです。
このことから、本当の意味での自動巻き機構の父はブレゲであったと言えるかもしれませんね。
さらなる革新 リピーター機構と脱進機
次にブレゲが取り組んだのは「リピーター機構」。
1783年には、従来のベルの代わりに、時計のムーブメント外周に巻きつけたゴングを使う方法を開発。

これにより、時計の音が澄んだ響きを持つようになり、しかも時計を薄く作ることができました。
現在のリピーターウォッチの原型を開発したのも、ブレゲだったのです。
デザイン革命!
ブレゲの革新は、機能面だけでなくデザインにも大きな影響を与えました。
当時の懐中時計のケースは、彫金やエナメル、宝石で彩られ、煌びやかに装飾が施されていました。

装飾芸術が、豪華で装飾の多いバロック様式やロココ様式から、シンプルで装飾の控えめなネオクラシック様式へと移り変わる中、時計装飾はその変化に遅れを取っていたのです。


ブレゲは、無駄な装飾を排除し、シンプルでエレガントなデザインを追求。
フラットなエナメル文字盤と、読みやすく美しいアラビア数字が特徴的な「ブレゲ数字」を生み出しました。

ブレゲ数字は今でも多くの時計に使われています。

さらに、ブレゲ針もその特徴的な発明の一つです。
この時代の針の多くは、短く、太く、過度に装飾が施されており、時間の読み取りが困難でした。

内部のメカニズムだけでなく外装にも合理的なデザインを好んだブレゲは、1783年にブルースティールで作られた“ブレゲ針”を生み出します。

ブレゲ針は、控えめで気品にあふれ、先端に丸い穴が開いているため、針が重なっても、正確に時間を読み取ることができたため、瞬く間に世界中で模倣されることになりました。

現在“ブレゲ針”という名称は、時計用語のひとつとなっていますね。
「ギョシェ彫り」もこの時期から導入され、ブレゲの時計に一層の高級感を与えました。

初期はケース表面に採用され、絹のような外観や、触ったときの心地よさに加えて、擦り傷を受けて艶を失いやすいポリッシュ仕上げに対してその表面を守り、経年劣化の予防としての効果もあり、ギョシェ彫りの機能的な面もブレゲは高く評価していました。

19世紀にはいると、文字盤にもギョシェ彫りを用いるようになります。
ギョシェ彫りは光の反射を防ぐことができ、ダイアルの視認性を高めることができました。

また、スモールセコンド、パワーリザーブ、さまざまなカウンターを読みとる際に、それぞれを区切る境界としても活用され、現在のブレゲのデザインコードにも用いられています。

19世紀初頭には、ブレゲが作る時計のほとんどがギョシェ彫りダイアルに改められ、“ブレゲ・スタイル”を確立することとなりました。
長くなりましたが、今回はブレゲの工房スタートから彼の特徴的なデザインや革新的な発明の数々をご紹介しました。
現在、使用されている機構の8割はブレゲが発明、もしくは発展させたと言われており、今後もまだまだブレゲの発明は続きます。
次回もお楽しみに!
この記事の著者
店舗:エスパス ド カミネ
著者:I.G.氏
資格:日本時計輸入協会認定 CWCウォッチコーディネーター
担当ブランド:ブレゲ、ローラン・フェリエ、ローマン・ゴティエ
ブログで伝えたいこと:
時計ブランドの豊かな歴史やコレクションが持つ魅力、そして時計の繊細で洗練されたディテールにフォーカスし、読者の皆さんに時計の奥深さや美しさを感じていただけるよう、少々マニアックな情報をお届けします。

ブレゲ正規取扱店
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Breguet – ブレゲ ウォッチコレクション
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